26歳福岡県那珂川の塗装工事業者
初めまして、那珂川で塗装工事業者をさせて頂いてます。宮田塗装工業の荒巻諒哉と申します。宜しくお願い致します。今後より、皆様の有益なご情報などを更新していきます。
お次に私がなぜ塗装工事で道を決めて、宮田塗装工業と名付けたのかお話致します。私は、周りの近い知り合いの方々がほぼ塗装関係者の環境で小さい頃から育ちました。お正月の集まりでは、ほぼ親戚が塗装職人さんでその中で色々のお話を聞き過ごしてきました。集まりでは、お酒を飲み楽しく会話してお食事をする姿や、お年玉をもらう際は、結構なお年玉を頂いてました。その中で小さい私は思いました、職人さんになったら将来楽しそう、稼げそうから私は塗装職人の道に走りました。
中学生になった私は、おじいちゃんの会社の『宮田塗装店』という『家具塗装専門店』の会社で働き初めました、そこには親戚の方々もいました。初めての仕事なので何も分からない私は、職人さんの仕事とプライベートのギャップの差が全く違くて今にでも感銘に覚えています。あんなにパッパラパーだったあの人たちが仕事では物凄く繊細でキビキビ動き、仕上がりは満足のいくまでする方たちでした。そこでまた私は、うわー職人さんやべーと再度感動しました。正直にかっこいいなと思いました。そこで私はこの道で頑張ると決めました。
だがしかし、その頃は家具塗装が昔よりも重宝されず、経営が難しいことを会社の話でお聞きしてました。洋風のお家が増え家具の希少価値が下がり、コスパ重視の家具の大量生産により家具の販売価格の減額、取引先の減少が当時は増えました。その中で職人さんは手を抜けない『宮田』の名前がある限り同じように施工を行うと言ってました。そこで私はおじいちゃんと話し建築塗装も覚えなさいと言う事で別の会社に行きました。
2年後おじいちゃんからきいた言葉は会社が潰れた。の一言
17歳の私は『ショック』を受けました。あんなに素晴らしい技術を持った会社がなぜ無くなるのか、当時な僕には分かりませんでした。悔しくて、悔しくて、悔しかったです。あんなに憧れた場所や仲間が一瞬で無くなりました。おじいちゃんに理由を聞くと2年前話していた事と同じ事を聞きました。施工品質を最大限に大切にしても赤字だと会社は回らない、ちゃんとした金額で何故ここまでかかるのかを言語化してお客様に伝えれて無かったのも原因だと言ってました。
そこから私の目標は『職人会社を作る』が大きな目標になりました。
人一倍経験をして早く独立する為にがむしゃらに働き覚えました。別会社では叩かれ、蹴られ、暴言を吐かれて理不尽な事ばかりの毎日でした。そこでも出来ない自分が居るからこそ何も言えなくてとても悔しい経験をしました。でもそれがバネになり乗り越えれました。今ではすぐ覚えれたこのやり方には、僕自身は感謝しています。
それから5年後おじいちゃんは亡くなりました。
そこで私は決心しました。独立のタイミングです。何も人脈もないのに勢いでしました、独立したタイミングで事業名を考えないといけません。そこで私は、『宮田塗装店』のように職人さんがプライドを持って働ける環境、圧倒的な技術力を再建しても一度『宮田』の名前を復活させたいと言う思いで『宮田塗装工業』と言う名前を付けました。
まだ会社や年齢として若いですが、志を高く持ち私が『宮田塗装工業』を引っ張って行きますので今後とも宜しくお願い致します。